◆ 雅楽道友会について

 昭和42年、元宮内庁楽部楽師 故薗廣教氏を中心に有志が集い、民間への雅楽の普及および技術向上を目的とし発足する。
 会長となった薗氏は後進の育成こそが天命であると悟り、志ある者を内弟子として育て、民間で初めての雅楽を専門職とする集団を作り上げるとともに数多くの指導者を世に送り出した。
 現在も内弟子であった職員を中心に、恩師の名「広く教える」を旨に、古典の伝承に励むことと会の名称である「雅の道の友」の集まりであり続けることを指針に、演奏活動や管楽器の作成を始め、会員育成はもとより、各地の雅楽団体への指導にも取り組む古典専門の雅楽集団である。

◆ 雅楽道友会創始者 薗 廣教(1926-1998)

のり先生 大正15年生まれ。兄の薗廣育(そのひろやす)に続き、現在の宮内庁式部職楽部に入学し昭和20年楽師となるも、終戦後大幅な人員削減が実行されるにあたり、弟の身であることを自覚し退官、民間に降りる。雅楽から離れた時期もあったが、雅楽界の荒廃を憂い、志しあるものを内弟子として育て、民間で初めて雅楽を専門職とする集団「雅楽道友会」を作り上げるとともに、数多くの指導者を世に送り出した。平成10年6月2日永眠。専職は篳篥、左舞、琵琶。

【薗家とは】
 薗家は今から1400年前、京都の帰化人系氏族・秦 河勝の次男の家系と言われ、聖徳太子の舎人長をつとめていた。蘇我氏のために滅ぼされた物部氏の屋敷跡に四天王寺が建立されると、そこの楽所に、薗、東儀、林、岡等の一族とともに移り楽師となっている。その後応仁の乱により京都の楽家が滅びると、雅楽復興のため京都に移り、以来450年宮廷の雅楽を守り続けている。更に明治7年、東京遷都とともに、宮内庁式部職楽部の楽師として東京に移り住み既に120年となる。こうして、薗家をはじめその一族は50数代1300年から1400年にわたり宮廷の楽部を中心に継承された家系である。なお、宮内庁楽部では、多、東儀などと共に国歌「君が代」の作曲をはじめ、近代音楽文化の基礎を作ったことも特筆すべきことであろう。

◆ 平成15年5月24日 目黒雅叙園  薗 廣教先生を偲ぶ会

◆ 雅楽道友会顧問 東儀俊美師

俊美先生 昭和4年生まれ。11歳で現在の宮内庁式部職楽部に入学し、昭和24年同楽部楽師となる。昭和56年重要無形文化財保持者、平成6年首席楽長に就任。御大葬、平成の御大礼、伊勢の遷宮などの奏楽、大嘗祭の悠紀風俗歌、風俗舞の作曲作舞、皇太子殿下の御歌による催馬楽「大空」の作曲などをおこなう。平成8年退官。専職は篳篥、左舞、箏。現在日本芸術院会員。

◆ 薗 廣教と東儀俊美

 2人は共に千数百年雅楽を伝承してきた四天王寺派楽家に生まれ、東儀俊美の祖母が薗廣教の父の姉にあたる関係であるとともに、楽部楽生時代の先輩後輩でもある。俊美は廣教退官の折に授かった譜面を今も我が宝として保管している。時は経ち、廣教が弟子の指導を俊美に願い出たところ、昔からの縁もあったが弟子たちの管・絃・舞・歌・打ち物のすべてを学ぶ姿勢に共感し、それまで決して行わなかった民間への指導を引き受けた。廣教亡き後も弟子たちの指導を続け、現在は雅楽道友会顧問に就任している。

◆ 雅楽道友会の内弟子制度

雅楽道友会楽師 下神明天祖神社宮司 福岡三朗

雅楽は楽家制度という独特の形で近代まで伝承されてきました。笙の家は代々笙を家業として伝え、笛の家は笛をといった形です。今でも楽器によって習慣や稽古方法、性格や人間性にまで偏りがある気がするのは、そのせいかと思います。雅楽の本質を残すには最もふさわしい制度なのですが、今の世の中ではさまざまな理由でなかなか難しいものとなりました。廣教先生が一般の若者を育てる環境として、それに近い形を模索したのが内弟子制度であったのだと思います。  弟子入り希望者は四年間“内弟子”(楽師心得)として入門します。五年目になると“内”がはずれ、通いの弟子(楽師)となり自炊生活になります。内弟子は合宿生活で朝の掃除から始まり、漆まみれの楽器製作(入門時には醜いかぶれ方をする)、日によっては演奏のお仕事、稽古、夕食という日々です。基本的には休日(仏滅が休日だった)は設けられてはいましたが、掃除や朝夕の食事時間には必ず居なければならず、曜日で決められた定期の稽古も仏滅だからといってなくなることはありません。休日に長々と説教をくらった時はとても損をしたような気持ちになったものです。そういう生活をしていると時間や環境のずれで、弟子以外の友人との付き合いが希薄になり、弟子同士で行動するようになります。毎年、入ってくる者、出て行く者がいましたが、私の弟子時代は多い時で十三人いたと記憶しています。貴重な休日には全員で上野や鎌倉に遊びに行ったり、飲みに行くのも全員一緒、風呂屋さんで貰ったチケットで映画館に入ると全員が鉢合わせしました。普段でも早朝ランニング、昼はバドミントン、稽古のない夕暮れ時はキャッチボール、舞の稽古前には皆で相撲をとっていました。雅楽や私生活のことで互いに喧嘩もよくしたが基本的に仲が良かったと思います。  楽師としての自覚を持たせるためにか、雅楽に関すること以外の仕事はしないので、懐は常に寒く(仕送りは厳禁)遊びにも行けず、夜は結婚式場で頂いた撤饌酒を飲みながら語り合い、それもない日は写譜。拘束時間が多く、おまけに指の漆は年中とれないという涙を誘うような生活だったかもしれませんが、振り返れば楽しいことばかりで先生との多くの出来事もすべて良き思い出です。  最近思うことがあります。雅楽というのは他の音楽と区別するための呼称で、正式には「楽(がく)」です。つまり楽しいから「楽」というのです。曲や演奏という範囲ではなく生活そのものが楽しくなければならないのですが、「楽」だけの生活をしていた弟子時代の楽しかったのは必然の理と言えるでしょう。  雅楽道友会の名称は何気なく付けられているようですが「雅道の友垣であれ」つまり、仲良く楽しい集まりでなければ「楽」にあらずという先生からのメッセージかと受け取れます。志ある若者には雅楽漬けの楽しい生活を準備し、「道友会は仲が良いね」と周りから言葉が頂け続けられるよう会員一同精進したいものです。
(第一回演奏会プログラムより)



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