雅楽道友会

初代会長 薗廣教について


薗廣教先生雅楽道友会創始者 薗廣教(そのひろのり)(1926-1998) 大正15年生まれ。薗廣高の次男。兄の薗廣育(そのひろやす)に続き、現在の宮内庁式部職楽部に入学し昭和20年楽師となるも、終戦後大幅な人員削減が施行されるにあたり、弟の身であることを自覚し退官。民間に降りる。 雅楽から離れた時期もあったが、雅楽界の荒廃を憂い、志あるものを内弟子として育て、民間で初めて雅楽を専門職とする集団「雅楽道友会」を作り上げるとともに、数多くの指導者を世に送り出した。 専職は篳篥、左舞、琵琶。平成10年6月2日永眠。

 


薗家とは

天王寺方の楽人の家名。秦姓。笙と左舞を専職とした。名乗は「廣」。 薗家は今から約1400年前、京都の帰化人系氏族・秦河勝の次男の家系と言われ、聖徳太子の舎人長をつとめていた。蘇我氏に滅ぼされた物部氏の屋敷跡に四天王寺が建立されると、薗、東儀、林、岡等の一族とともに移り、楽師となった。 その後応仁の乱により京都の楽家が滅びてしまったことにより、雅楽復興のため京都に移る。 明治7年東京遷都とともに宮内庁式部職楽部の楽師として東京に移り住み、既に約130年となる。 薗家をはじめその一族は50数代1300年から1400年にわたり宮廷の楽部を中心に継承された家系である。 宮内庁楽部で、多、東儀などと共に国歌「君が代」の作曲をはじめ、近代音楽文化の基礎を作ったことも特筆すべきことである。